がくバカ日誌

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関ヶ原はレンタサイクルで巡れ!関ヶ原巡りレポート!【2016年9月訪問】

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皆さんこんにちは。がくです!

ぼちぼち記事も増えてきたななんて昨日は色々と作業をしていたのですが、、、、、

考えてみたら「1記事目の自己紹介で書いたブログに書きたいことについての記事全然書いてないやん!!!!!!」となりまして、、、、、少々反省いたしました(笑)

gakublog11.hatenablog.com

 別に今までの記事もいいと思って書いてますし、好きなことや取り組んできたことなので問題はないと思うのですが、、、

せっかくなのでブログをはじめようと思ったきっかけになったたびについての記事を書いていこうと思います。

一発目の今日は「関ヶ原」を巡った1日についてです。これは一年前くらいですね。昨年(2016年)の九月ごろに一週間京都に滞在しまして関西周辺の行きたい史跡を1人他旅で巡りまくった旅の2日目です。関ヶ原といえば最近司馬遼太郎さんの小説「関ヶ原」が映画化されて話題ですね!

 

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)

関ヶ原〈上〉 (新潮文庫)

 

 

という事で関ヶ原の巡り方と関ヶ原を自転車で巡った1日レポートです!!!!!!!

関ケ原町

 

町の沿革

関ケ原町は岐阜県の西端に位置し、北は伊吹山を主峰とする伊吹山地、南は鈴鹿山脈に囲まれています。平野部でも海抜100m~200mの高低差があり、変化の多い地形が特徴で、東西8.1km、南北12.5kmの町です。町土の約80%を山林が占め、豊かな緑と史跡に恵まれ、古来より交通の要衝として栄えて、天下分け目の戦いが二度(壬申の乱・関ケ原の戦い)行われた地としても有名です。

明治22年に村役場と改められ、さらに明治30年には4村と合併し、新たな関ケ原村が誕生。昭和3年に町制を施行し関ケ原町となり、その後昭和29年9月には今須村、玉村、岩手村の一部と合併し、現在の関ケ原町が誕生しています。         

町の沿革と位置/関ケ原町より引用

関ケ原は岐阜県不破郡にある町です。岐阜県の中でもかなり滋賀県よりの地域ですね。関ヶ原の戦いの「関ヶ原」とは異なり正式な町名の表記は「関ケ原町」となっています。

ちなみに不破郡というのは関ヶ原町と垂井町で構成されていて、垂井町は竹中半兵衛ゆかりの地です。他にも周辺には大垣城、石田三成の佐和山城などなど、、、つまりこの辺りは歴史好きにはたまらない地域なんですよね。

また関ヶ原の戦いはもちろんの事、古代に「壬申の乱」が起きたのも関ヶ原であります。まさに日本の中心であるといえるそんな場所ですね。完全に余談になりますが、そばのつけ汁の甘・辛の違いもちょうど関ヶ原のあたりらしいですよ。今も日本のド真ん中。いつの時代も天下を分けていますねw

関ケ原町には名神高速道路や東海道本線、そして東海道新幹線が通っています。東海道新幹線に乗車時は注意してれば「今、関ケ原通過中だな」と気が付くことができますよ(笑)ちなみに僕は毎回東海道新幹線に乗るときは、スマホの地図アプリ片手に通過中のタイミングで友人に「関ケ原だよ今!」と報告しています(迷惑だろうなぁww

関ヶ原の戦い 

 

前章でも述べたように関ケ原町一帯は「関ヶ原の戦い」と「壬申の乱」の二つの戦いがおこった場所 です。参考までに下記のリンクのように様々な観光コースがあるようです。おすすめモデルコース:観光情報[関ケ原観光Web]

今回の旅では関ヶ原の戦いに関する史跡のみを巡ったので関ヶ原の戦いについてのみ紹介していきますね。

関ヶ原の戦い せきがはらのたたかい

慶長5 (1600) 年美濃国関ヶ原で,徳川家康を大将とする東軍石田三成を中心とする反徳川勢力の西軍が行なった会戦。この戦いののち家康が天下を握ったことから「天下分け目の戦い」ともいわれる。慶長3年豊臣秀吉が死ぬと,五大老,五奉行制に立脚していた豊臣政権は五大老筆頭の徳川家康が政権獲得への野心を示したことから動揺をみせはじめた。豊臣家内部にも対立があり,秀吉の正室である北政所 (きたのまんどころ) は徳川家康と,側室淀君は石田三成と手を結んだ。同4年五大老の一人として豊臣秀頼を補佐して家康との対立関係を調整していた前田利家が死ぬと家康の策動は表面化し,石田三成に反対する大名加藤清正や福島正則を味方につけることに成功し,対立は激化した。同5年6月上杉景勝が会津に引きこもって家康に抵抗したので軍を進めたが,これは三成の挙兵を挑発する策動であった。三成は主として毛利,宇喜多,島津,小早川など西国大名を糾合して同年7月挙兵した。家康は長男結城秀康を上杉と対陣させ,みずからは東海道を,秀忠には東山道を進ませ,同9月 15日関ヶ原で戦闘が始った。西軍には大将と目するものが存在せず足並みがそろわず苦戦し,そのうえ小早川秀秋の裏切りにあって総くずれとなった。戦後,石田三成,小西行長安国寺恵瓊は処刑され,その他は降参。石田方に味方した大名への処罰はきびしく改易 91家 420万石,減封4家であった。また豊臣秀頼は摂津,河内,和泉を領する一大名にすぎなくなり,ここに徳川氏覇権が確立した。

関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)とは - コトバンク より引用

関ヶ原の巡りのポイント

レンタルサイクルが一番いい

 

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ポイントとしては何と言ってもレンタサイクルを利用すべきという事です。なぜなら、徒歩では陣跡間の距離が遠すぎて回り切れません。だからといって車で回るのは道が狭い所や駐車場がない史跡も多い。

ですから晴れの日にレンタサイクル利用が関ヶ原全体の距離感もつかみながら旅ができて楽しいしおすすめです。

レンタルサイクルは関ヶ原町歴史民俗資料館で

関ヶ原駅を出て徒歩圏内でいけるレンタサイクルは駅前直ぐの「観光案内所」と徒歩5分の場所にある「関ケ原町歴史民俗資料館」の2か所があります。ここでの注意点は駅前の観光案内所よりも歴史民俗資料館のレンタルサイクルのが安いという点です。(2016年夏現在)

ただし、電動自転車を借りたい場合は駅前の観光案内所しか取り扱いがないので注意が必要です。

駅前出ると直ぐにある観光案内所に直行してしまいそうですが、五分歩いて関ケ原町歴史民俗資料館まで歩いてからレンタルサイクルを利用するようにしましょう。また、資料館内の見学は帰りにしたほうがよいでしょう。意外と関ヶ原古戦場巡りは時間がかかります。

参考までに関ケ原町歴史民俗資料館のレンタルサイクルについてまとめておきます。

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ざっくりとこんな感じです。貸してくれる自転車はいたって普通のママチャリと呼ばれるやつでダイシャリン社製のものでした。

注意点としては、時間はあったほうがいいのでなるべく早い時間に関ヶ原に着き史跡巡りを開始すること。また、巡りつくすには確実に4時間以上かかりますのでここはケチらず自転車は1000円払って4時間以上借りましょう。この先入場料がかからないのですから、史跡めぐりとしては安い出費です。

現地の観光案内地図を利用しコースを決めよう!

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現地に行くとこのような地図が数種類用意されていて、無料でもらえます。おすすめはこの地図で自転車で巡る際に必ず必要ですのでGETしましょう

下のように同じテイストで壬申の乱バージョンもあるので間違えないように注意です。

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そして、地図をGETしたらどのように回るかをざっくりと頭の中で計画しましょう。山内一豊の陣等がある桃配山方面を経由するならばそちらを先に回ってから松尾山、三成本陣方面へと向かうコースがいいと思います。

また松尾山の小早川秀秋本陣に行く場合もなるべく早めにそちらを回るべきです。松尾山山頂に向かうのは山登りなので時間的余裕が必須です。

いずれにしても天候や時間、そして自分の巡り退陣の優先順位などを考慮してざっくりと計画しましょう。

関ケ原巡りレポート

ここからはいよいよ私が巡った関ヶ原巡りについて紹介していきます。この日は予想以上に関ヶ原到着が遅くなってしまいまして昼頃だったの短時間での関ケ原巡りでした。なので巡っている陣地の数はそんなに多くありませんのでご了承ください・・・!

しかしながら松尾山をはじめ絶景や時に想いを馳せられるような素晴らしい景色見られたので少しでもお伝えできればと思います。

関ヶ原駅到着 

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関西旅の2日目という事で少し出遅れ気味。京都から電車に乗り1時間半ちょっと。昼過ぎに関ヶ原に着きました。

初めての関ヶ原という事で駅前の観光案内所や徒歩数分の歴史民俗資料館などを見学。資料館でレンタルサイクルを借りることにしました。

本田忠勝陣跡

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まず最初に訪れたのは徳川四天王の一人で、最も武勇に優れた武将と伝わる本田忠勝の本陣跡。ここは普通の住宅地の間にするすると入っていくとひっそりとあるような感じでした。

徳川家康最初陣地跡

続いて、少し離れたところにある桃配山周辺の陣を攻略していきます。まず最初に訪れたのが徳川家康が最初に着陣した場所です。

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駐輪場も見当たらないので邪魔にならないところに自転車を止めこの階段を登っていきます。すると気に囲まれたスペースに出ます。史跡整備した時代ごとに立てたのでしょうか幾つか石碑が立っています。

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これが一番古そう。

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こんなに大きいのも。

山内一豊陣跡

続いて桃配山後方にある山内一豊陣跡です。こう走っていってみると家康は結構背後直ぐの近い場所に着陣させていることが感覚的にも分かります。山内家は豊臣恩顧の外様ですが、ある程度の信頼を持っていたのかもしれません。

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ここは石碑がなく案内板ですね。少し前にやっていた大河ドラマ「功名が辻」ブームにあやかって立てたのかなという感じです。この先も関ヶ原巡りをしていると最近になって陣跡として整備した場所と、昔から整備されていた場所の差が歴然と分かることになります。

福島正則陣跡

桃配山周辺を攻略したら関ヶ原周辺に戻ります。ちなみにこの間の国道沿いにサークルKサンクスがありますのでトイレ休憩や水分補給をしましょう。私はここで昼食のおにぎりを買って食べました。

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福島正則の陣跡は春日神社という神社になっています。駐車場も2台分くらいありましたね。

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何と言っても樹齢八百年余りと伝わるこの杉が圧巻です。関ヶ原合戦屛風にも描かれているこの杉。関ヶ原の戦いを見ていたのかなと思いながら杉を見ていると胸が熱くなります。

小早川秀秋本陣跡

 次は難所松尾山山頂にある小早川秀秋の陣跡に向かいます。この時はこの先ガッツリとした山登りがあることも知らずルンルンな気分で自転車を漕ぎます。

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綺麗な川を越えて。登山道への入口へ。ここも多少外れた場所にあります。また、山なので女性や子どもが一人で行くのは避けたほうがいいと思います。加えてアブなどの虫がいるので長袖など着用できるなら着たほうが絶対いいです。私は半そで半ズボンで登ったので虫に食われまくってかゆくて大変でした(笑)

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急ぎ足で25分ほど登ると・・・山頂が見えました!でもここからがかなり急でした(´;ω;`)

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大きな旗も立ってますね。

そして、山頂到着です。

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石碑も立っています。これ家康最初本陣跡にあった一番古いタイプのやつと同種だなあ。。。

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関ヶ原を見渡せる絶景ですね。と同時にこんな高い位置に陣を置いたという事は戦う気が有ったのかな?なんてこと考えてしまいます。

とにかく景色が綺麗です。私的には関ヶ原おすすめスポット一位ですね。

脇坂安治陣跡

さて、松尾山を下山し、麓にある脇坂安治陣跡に向います。安治は加藤清正などとともに賤ケ岳七本槍の一人である武将です。

関ヶ原の戦いでは西軍として参戦し、小早川裏切りに備えこの松尾山の麓に配置されました。しかし安治も東軍に内通しており大谷隊の横っ腹を突いたと伝わります。この活躍により、戦後に家康から所領を安堵されています。

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ここも私道のような所を入っていくと石碑があります。分かりにくいのでよく探しましょう。

大谷吉継陣跡

ここからは暫く西軍武将の陣を巡ります。まずは大谷吉継の陣へ。

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脇坂の陣から向かう途中に関の藤川(藤古川)を見れました。

この川は壬申の乱では両軍挟みあっての開戦。関ヶ原の戦いでは上流右岸にこれから向かう大谷吉継の陣が置かれるなど軍事上の要害だった場所です。

また古来より歌枕として数多くの歌が詠まれた場所でもあるようです。

そんな、藤川などを見つつ向かうと

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大谷吉継本陣跡です。脇坂の陣からわりかし距離がありました。東海道新幹線や国道21号線などを跨がなきゃいけないのもあってか少々遠回りもしたのもあるかもしれませんが。。。!

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大きいタイプの石碑も。

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眺望地からは松尾山が見えますね。

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こんな顔板もありました。誰かいたら取ってもらいたかったのですが人っ子一人いないものですね泣

この後少し奥にあるお墓にも行きお参りしてきました。

開戦地

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この辺りで時間がやばいことが発覚。自転車の返却時間があるので焦りだします。という事で開戦地は1分で引き揚げ。おくにある小西行長陣跡やその手前の宇喜多秀家陣跡は今回は諦めました・・・泣

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小早川の陣跡やこのあと石田陣跡などでも見にする大きい旗が開戦地にもあります。 

かなりでかいですね。関ヶ原タワー?が完成すると旗を目印に見渡せるのかしら?こんな企画もありますから楽しみですね。

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石田三成陣跡

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石田三成の陣跡まで来ました。笹尾山というだけあって小高い山になっています。手前にはかなり広い駐車場もあり観光客の人もチラホラいましたね。関ヶ原の陣跡の中では一番整備されている場所だと言えます。

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山に上がると先に島左近の陣地跡があります。f:id:gakublog:20171112134219j:image

朽ち果てて腐っている馬防ぐ柵も復元のものですが時代を感じさせてくれます。何だか余計と切なくなる。f:id:gakublog:20171112134231j:image

ここからの景色はこれまた絶景です。夕暮れの空を見ながら三成に想いを馳せます…f:id:gakublog:20171112134325j:image

馬房策を後ろから見るのってわくわくしますよね(笑)f:id:gakublog:20171112134340j:image ここにも大きいタイプの石碑があります。

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とにかく、夕暮れが美して涙が出そうでした。。。

 決戦地

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三成陣跡での夕暮れが美しすぎて長居をしてしまいました。自転車返却の時間もやばいので急いで決戦地に向かいます。小早川勢の裏切りによって敗色が濃厚になった西軍諸隊は可なり浮き足だったようですが笹尾山の石田隊は集中攻撃を受けながらも頑強に戦い続けたと伝わっています。そのため、笹尾山から程ないこの辺りは最大の激戦地となったようです。

 細川忠興陣所跡

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自転車返却のためかなりハイスピードで巡ります。黒田長政陣(写真撮り忘れた・・・)を一瞬だけ見て細川忠興陣跡へ。ここは住宅街の中の公園にあります。なぜか石碑がすごくきれいな新しいものが一つあるだけでした。忠興愛用の越中頭形兜と愛刀兼定の絵が綺麗に描かれているいい石碑ですね。

徳川家康最後陣地跡

何とか自転車を時間ぎっり切りに返却し、ここからは資料館から駅に向かいつつ陣跡巡りです。

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徳川家康最後陣地。桃配山から考えると随分と陣を押し出したなというのが正直な感想です。笹尾山の三成本陣から一キロほどの場所ですから勝者の余裕でしょうか。

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首実検などもこの辺りでおこなわれたようです。

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大きい石碑もあります。

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大旗もありますね。これを立ててる基準はなんなんでしょうか?

田中吉政陣跡 

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家康最後陣地からすぐの場所に田中吉政陣跡もあります。合戦では吉政石田隊の先方と激しくぶつかり合いました。この辺りも激戦だったことでしょう。

戦後、石田三成を捕縛するのは吉政の家臣でした。

松平忠吉・井伊直政陣跡

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関ヶ原の戦いでは抜け駆けで有名なこの二武将。この辺りに着陣したようです。東軍外様の真ん中で審判譜代としてこの戦に人一倍の気持ちがあったのかもしれませんね。宇喜多隊への抜け駆けは福島正則に注意されました。方向を変え島津義弘隊にぶつかることで戦の火ぶたが切られました。

関ヶ原旅を終えて

 古戦場巡りはあまりしたことがありませんでしたが、晴れた日は1日かけて巡るとかなり大きな史跡巡りになりますね。皆さんにも是非オススメです。

歴史上の勝者に勇気をもらう事は勿論、敗者に想いを馳せてみると未来に向けて後悔なく生きようという勇気をもらえる気がします。

事実、私もここで前に通っていた大学を辞める決断をしました。あのとき松尾山で決断しなければ今の僕はないでしょう。そんな意味でも意義ある大きな旅でした。

まとめ

 さて、今日はかなり長文の記事になってしまいましたが関ヶ原古戦場巡りの仕方とレポートでした!絶景と日本の中心というべか場所であった戦いに想いを馳せ自分の志を再確認する旅。皆さんも是非訪れて見てください。

  • 関ヶ原巡りはレンタサイクルで巡るべし!
  • 松尾山に行く場合は早めに行くべし!
  • 1日がかりで楽しむべし!